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和歌山地方裁判所 昭和23年(行)8号 判決 1948年12月06日

原告

沢野市逸

被告

学文路村農地委員会

主文

被告が昭和二十三年五月八日決定したる原告所有の伊都郡学文路村大字向副字大西島四十番地の一宅地百三十坪同村同大字字下河原三十二番地宅地四百五坪に対する買收計画は之を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

請求の趣旨

主文と同旨

事実

原告代理人は請求原因として原告は主文記載の土地の所有者で該地上に事務所及住宅を建築し沢野林業部の商号で山林経営と伐木販賣の業務を営む者であるが被告は、昭和二十三年五月八日農地買收計画を立てるに当り本件土地を農地と看做し、右買收計画に繰入れてその旨公告したので、原告は同年五月十九日異議を申立て、更に六月九日縣農地委員会に訴願したが、同年七月十六日訴願棄却の裁決をした。然れども本件土地は公簿上地目は宅地であり、現況も家屋の敷地で残部は建築の豫定地であり、一部は家庭菜園で所謂耕作の目的に供せられる農地ではない。元來右土地は元公簿上山林で竹籔簇生地であつたが、戰時中原告は伐採木材の集積場に使用し、昭和十八年頃林業部事務所の建物約三十坪及住宅約十二坪を建築し、現に居住して営業の本拠として使用中である。然るに本件土地の一部空地に昭和十九年頃近隣の人々が、原告の許諾を得ず不法侵入して、濫りに家庭菜園式に野菜類の栽培を行い二十二年頃疎開者坂本某が約三疊の小屋架けして、木挽職の傍ら本件空地の一部を休閑地利用して、些か麥作をなしていたに過ぎぬので全体的に見て本件土地は現況宅地であつて、農地ではない。然るに被告は自作法第五條を無視して買收処分を爲したるは違法であるから、本訴請求に及びたる旨陳述し立証として、檢証の結果並証人相宅森藏の証言を援用した。

被告代理人は原告の請求棄却の判決を求め答弁として、被告が昭和二十三年五月八日本件土地に対し買收計画を決定したのに対し原告より異議並訴願ありて、同年七月十六日縣農地委員会に於て訴願棄却の裁決を爲したことは認めるが其余の事実は否認する。

原告は本件土地は公簿上宅地であつて農地ではないと主張するが昭和十八年末頃より十九年初頭当時竹籔であつたものを伐採開墾したもので明らかに農地である。原告は終戰前から約三十坪の建物を建て本件買收当時は未完成(終戰前建築未許可のため取除きを命ぜられたことがある)であつたが宅地部分は除いて買收して居るから原告の主張は当らない。更に原告の住所は神戸市で学文路村は生活の本拠でないから現況農地で不在地主の所有であるから自作法第三條第一項に該当し買收は適法である旨陳述し檢証の結果を援用した。

理由

檢証の結果並証人相宅森藏の証言に依れば、本件宅地の大部分が耕作に適する畑地で現に坂本某が麥作を爲し居ること(此関係が小作関係なるや使用貸借なるやは不明なるも)原告が生活の本拠なりと主張する家屋は未完成で現に居住して居るとは認め難い状况にあることは明らかである從つて、被告が不在地主所有の小作地として買收したことは妥当であると一應認められるが、前示の如く本件土地内には二棟の家屋と其周囲に農地があつて建物の敷地部分は買收出來ぬことは明らかで之を除いて現に農地となれる部分のみを買收すべきものである。

然るに其範囲並敷地との境界が極めて不明確で被告に於ても何処から何処迄を買收したのかを指示する能はざる実情であつて買收範囲を確定し居らず、從て之が対價の算出も不明確たるを免れない殊に地目が宅地で一部農地となつて居る場合その農地を買收するには現実に農耕に適する農地となつて居る範囲に限り買收することが自作法の精神であるのに拘らず、本件の場合農地にあらずして埋てられた地域並家屋敷地の周圍たる埋立地域をも買收範囲に加え居るやに感ぜられるから、農地に限定して範囲を明確に確定して買收計画を樹立する必要がある。要するに本件の如き漠然たる買收計画を縣農地委員会に於て承認するとも、後日之が境界につき必ずや爭を生ずべき実情に在るので結局買收の範囲を確定して居らぬ不当があるから結局本件買收計画は違法として取消さゞるを得ない。

仍て訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の如く判決する。

(目録省略)

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